「運は己自身の修養から」、と前回の「強運の根源」で書きました。
まずは「自分自身の器を大きくし、内面性を正す」と。
しかしそれでも運が開かない人はたくさんいます。よくある器用貧乏ですね。
人格は立派なのに、ただのいい人。才能は素晴らしいのに全く活躍が出来ない人。
これとは逆に大した才能があるわけではないのに、「なんとなく味がある」「どこかに魅力がある」「荒削りだが、何かが違う」ということで莫大な財産を築き、有名になる方もたくさんいます。
この差はいったいどこから生まれるのでしょうか?
個人や家の徳分が繁栄のもととなる
それは、ズバリ【徳分の差】にあるのです。
徳とは目に見えないその人が発する霊光であり、その元はその人が人知れず積んできた「善行」の積み重ねであります。
四書五経の【易経】にはこのように書かれています。
積善の家に余慶あり。
積不善の家に余殃(よおう)あり。 と
善行をたくさん積み重ねた家には、その徳によって子孫にまでおよぶ幸福がある。逆に、悪行を積み重ねた家には、子孫までおよぶ災いがある、という意味です。
つまりこの世の幸福・強運の根源は、自分や先祖が積み重ねてきた善行の元にあるのです。
強運の根源の実例
だいぶ前ですがモスバーガーの社長さんの話を聞く機会がございました。
その中でモスバーガーの成功の秘密と人間として生きる上のでアドバイスとして、「徳を積む」ということを教えてくれました。
「これからの人生の中で、人に良きことをしなさい」と。
もちろん自分が成功するために良いことをするのは、その心は本当ではないので偽善となりますが、人に本当に喜んでもらうために良い行いをするのは「徳積み」となります。
とにかく徳を積み続けなさい、と。「例えその人から返ってこなくても、別のところから幸せが来る」とおっしゃいました。
これは本当に真実そのままです。
一番の徳とは見返りを一切気にしない、心からの善意から積まれた徳分は、いわば幸せの貯金のようなものなので、いずれその扉が開かれるのです。だから何らかの方法で必ず幸せが訪れるのです。
これが徳積みの絶対原則です。
自分がした良い行いは、例えすぐには返ってこなくても、いつかは必ず返ってくるのです。
そしてこの徳がたくさん積もれば、その人の全体的運勢は磐石のものとなるはずです。
この積み重ねが上で説明した中国易経の「積善の家に余慶あり。積不善の家に余殃(よおう)あり」なのです。