九星での印材判別間違いと水晶(宝石印鑑)の問題点について

九星による印材判別の過ち 印鑑素材

ホームページにも書いていますが、九星気学の占いによる印材の相性判別法は、昭和に入ってから「ある印相家」が主張した方法です。もともとあったものではありません。

当時、日本は高度成長期で、売れば何でも売れた時代です。

それまでほとんどの印鑑は本柘(ほんつげ)で作られていましたが、単価が安くてこれではあまり儲からないため、業界として【新商品が必要】だったのです。

それが象牙や黒水牛です。

高度成長期に売上UPのために販売強化されたのが象牙や黒水牛

特に象牙は彫刻なんかにも使われていて高級品のイメージが強かったため、高く売るにはもってこいだったのです。

そして「印材には相性がある」、「あなたは五黄土星だから象牙がいい」と言われ、「五黄は柘はよくない」となれば象牙か黒水牛しか買う選択がなくなります。
この時点で柘を売る必要がなくなり、利益が大幅に見込めるのです。

この商法は売上を伸ばし、大いに儲けるのに大変都合がよかったので、瞬く間に印鑑業界に拡がってていったのです。

九星による印材の選択は間違っています

もともとあった純粋な印相学では「国産の本柘のみが吉相である」と文献に残っております。

黒水牛や象牙は昭和に入ってから、某印相師が提唱したもので、一亜流に過ぎません。

ただしこれらの印材はそれほど凶作用が強いものでもなく、材によっては若干吉になるものもあります。
悪くても小凶のレベルですから、そんなに明らかな凶作用が出ない場合も多いです。それがここまで長い間定着してきた理由でしょう。

しかしいずれにしても開運力においては国産の柘の印鑑には遠く及ばないのですから、やはり本柘を中心として考えるべきなのではないでしょうか?

問題はこの後です。

象牙・黒水牛までなら、まあ何とか許せますが、その後現れた新商品は、かなりの凶作用を及ぼす水晶・メノウなどの石の印鑑(宝石印鑑)なのです。

歴史的事実と実績があるのは国産本柘のみ

古来より使われてきた印材こそが、歴史的事実と実績のある吉材であると言えます。

日本の印鑑は昭和初期までは、ほぼ柘のみで作られてきたものです。

その後象牙や黒水牛が盛んに売り出されるようになりましたが、それ以前は柘が主流でした。

高度成長期に入り、全体の売上ボリュームが上がり、日本も活況になると、象牙の3本セットが50万くらいで、がんがん売れる時代になりました。昭和バブル期の話です。

やがてバブルは崩壊し、不況に陥ると象牙の値段も下がり、20万-30万が上限となり、安いものは5万円くらいから手に入るようになりました。っというかもともとその程度の値段なのですが。

しかし業界には常に新商品が必要となります。

儲けを考えれば他の業種もみな同じですが、新しい商材がないと業界全体に活気が出てこないのです。

そこで「開運といえば水晶」だと。「これはいける。いかにも開運しそうだ」ということなのかどうか?水晶やメノウなどの石の印鑑(宝石印鑑)の時代が来るわけです。

水晶印(宝石印鑑)が悪い訳とは

天然石の印鑑というと、どこか開運しそうな気がします。

パワーストーンとして、石には開運の強いエネルギーがあるといわれているからです。

確かにその通りです。石にはパワーがあり、風水では必須アイテムの一つです。

しかし森羅万象の全ての物には、それ相応の使い方があるものです。

例えば電気は私たちの生活にはなくてはならないものですが、使い方を誤り高圧電線に触れればショック死します。これはガスや細菌に関しても言えることです。

全てのものは、正しく使えば役に立つと同時に、使い方を誤れば大怪我をするのです。

水晶も同じです。

置物として、または身に付けるものとしてのパワーストーンは、私たちの生活にエネルギーをもたらしてくれます。

しかし印鑑は意味が違ってきます。それは印鑑は自らの魂が宿る分魂だからです。

石というのは基本的に冷たいものです。その冷たさの中で魂はエネルギーを失うのです。

過去の歴史的文献には以下のように記されています。

「水晶・金・銀などの地下資源による印材は、陰性のものであって、太陽とともに生成発展する陽性の人間の身代わりとなるべき性質のものではない。 ~中略~ これら地下資源の印の所有者は、いずれも運勢が衰退、破滅の一途を辿っているのは必然的であるといえる」

いかがでしょうか?

私の鑑定でもほとんどの人が水晶印鑑で不幸に直面しています。

歴史書に記されている事実を曲げ、金儲け主義に陥っている現在の印章業界は、ひたすら新商品を作り出す道を辿っています。

印鑑が運勢に影響しないのなら、それは勝手です。業界を発展させるには新しいものが必要だからです。

しかし印鑑が幸不幸の一端を担っているのなら、やはり原点回帰、本質のみをひたすら守っていく道が必要だと思うのです。

最後にもう一度言います。

人が幸せになるために必要な印材はただ一つ、国産の本柘のみです。

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